みんな鏡を見よう!
ハーバード大学の研究によると、“仕事中にイライラしたときに鏡を見ると精神が安定する”ということが明らかになっている。
客観的に自分を見て冷静になれることや、自分の良い顔を見ることで気持ちが回復することなどが挙げられている。
脳科学的には、客観的に自分を見て冷静になれることや、自分の良い顔を見ることで気持ちが回復することなどが挙げられている。
そう言えば、私の中学時代。クラスの半分以上の男子生徒がVANの金クシを学ランの胸ポケットにさして、みんな休み時間になるとバイタリスを付けた髪をとかしていたものだ。
あれはみんながやっていて、流行りだったからできたのだが、そのまま成長していたらみんながそのままジェンダーになっていたかもしれない⁉︎ そんな時代だった。
しかし今や、そんな時代ではない。
少しでも長く集中力を維持するためには、自分の顔が見える位置に鏡を置くと良い。自分の視線であっても、「なんとなく見られている」という感覚が無意識に働くので、程よい緊張感を生むことができる。
「コンプレックスがあるからあまり自分を見たくない」という女性も少なくない。たしかに、鏡を見れば自分のコンプレックスが目に入るので、さらに落ち込んでしまう女性もいる。
しかし、それが鏡越しであっても自分自身と向き合うことができる。
そして、自分はどうしたいのか、どうなりたいのかを問うことで、目標のために何をすればいいのか解決策が見えてくる。
なので、くじけずにみんなで鏡を見て、自分としっかり向き合おう!
ゆかいなことはあくまでゆかい
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」(劇作家井上ひさし)
40年以上も演劇界に身を置き、若い時には井上ひさし氏(故人)の作品を演出したこともあった。彼がまだ売れない頃、あちこちの出版社などに原稿を送り、何度もそのまま送り返されたことがあったという。没になった原稿をまたちょっと書き直して別の出版社に送る。こんなことを何年も繰り返して、ようやく行き着いたところが上記のこと。
以来、彼は「ひょっこりひょうたん島」を始め、「藪原検校」「吉里吉里人」「父と暮らせば」ほか、岸田國士戯曲賞はじめ谷崎潤一郎賞、菊池寛賞など数々の賞を総なめしている。
昨年の3月。急激にコロナのるつぼに入り込んで以来、にわかYouTuberにもなってみた。二つのチャンネルを持ち、3月頃には併せて100回に到達するかと思う。一般公開しているというのにまるで限定公開しているようにしか見えないが某インフルエンサーが100回超えないとほんとうのYouTubeの世界は見えて来ないと言っていた。わたしも100回超えたら上記の井上マインドごとく歩みたいものだ。
で、最近Club houseにもハマり始めている。これメッチャ楽しい。世界中に雑談の嵐が吹き抜けていく。またレポートしたい。
人間力増進講座vol.54
ポートフォリオキャリア
コロナ禍にあって、ワクチン接種が進んだとしてもウィルスが消えるわけではない。
したがって、今のような仕事スタイルはさらに進んでいくだろう。つまり、コロナ以前から提唱されてきた「ワークライフバランス」が普通になっていく。そして、これが進んだ状態を「ワークライフインテグレーション」という。
これも普通に捉えれば、自宅に仕事を持ち込むとか、リモートワークや在宅勤務といった柔軟な働き方のことだが、実はこれだけでは足りない。
キーワードは、「ポートフォリオキャリア」
これもまたコロナ以前からこうした流れがあったが、コロナ禍に入り、グッとこの働き方が加速化している。
どんな働き方かというと、簡単に言えば2足のわらじならぬ「複数のわらじをいっぺんに履く」というもの。
これまでは、職業といえばだいたい一つに絞られてきたものだが、これが最低でも3つになってくる。本業の他に副業があるとかではない。
仕事A=B=C、どれにも気合が入っている。
職業が一つの場合は、ビルで言えばその職業のエキスパート性を高めながら超高層ビルを建て上げていくわけだが、ポートフォリオキャリアという働き方はそんなに高いビルはいらない。
ビルA15階、B12階、C10階程度でいい。
つまり、複数のキャリアを持ったキャリア形成がメインになってくる。
portforioというのは、相手、状況の変化に応じて適宜応答できる能力をいう。
いずれにしても、平均的な人間はいらない。
平均的なことはAIがする。
ということは、どれだけ個性をとんがらせ、少なくとも3つのエキスパート性を際立たせるかにかかってくる。
しかしさらにAI化も加速化し、消えていく職業もある。消えていくことがわかっていて、これを仕事BやCにしたらエライコッタになる。
オックスフォード大学でAIなどの研究を行うマイケル・A・オズボーン准教授の論文によるとー
ここ10年以内に消えていく仕事をあれこれと挙げている。主なものだけでもこれだけある。
パラリーガル(弁護士アシスタント・もはやない)
バーテンダー
タクシードライバー
トラックドライバー
設備機器のメンテナンス業務
各種コールセンター
金融トレーダー
教育関連 全てオンライン化
今後さらに調理、医療(病院ロボット)、清掃、高齢者介護などのサービス産業で複雑な作業をAIが担うことになるという。
そして、こうした高度な技術が、世界で約1億4000万人のフルタイムの知識労働者にとって代わると予測されている(マッキンゼー・グローバル・インスティチュート)。
オズボーン氏の論文の凄みは、702の職種すべてについて、コンピューターに取って代わられる確率を仔細に試算したことにある。その確率は90%というから恐ろしい。では、急成長する仕事はーすでに2028年までの成長率と年収の試算まで出ている。それはまた次回。
心のソーシャルディスタンス
地球の海と陸の面積の割合は、およそ7:3。
全面積の71.1%が海、28.9%が陸。
海陸の境界線は海岸線ということになるが、潮の満ち引きや波の状態、気圧や地盤などによっても変化する。
なので満潮水位になった時を海岸線とし、逆に最低水位を領海も定めている。これを低潮線といい、海岸線と低潮線の間に潮が満ちると海になり潮が干くと陸になる部分が出てくることになる。
日本の海岸線はおよそ3万キロ。
地球一周がおよそ4万キロだから、ここに島国日本ならではの特徴が現れている。
海陸に境界線があるように、こころにも境界線がある。それはどこにあるのか。
あなたはひとりで何かを思い巡らすとき、誰と話をしているか。
内なる自分。確かに。その内なる自分はどこにいるのか。
それは、「見ている私と見られている私」の間に存在している。なので、人の間と書いて「人間」という。
「見ている私」とは、何か物音を聴いてそちらを見る。そこに何か不思議なことがあるといったいこいつはなんだ?と思い巡らす。
思い巡らすとき、今度は「見られている自分」と話し始める。
何か思い悩んだり、考えごとがあったりすると、そこに「見られている自分」がいるのでそいつと話し始める。こう考えたら、あるいはこのような行動に出たら、こんなファッションをしたら、人はどう思うだろうと「見られている自分」がいろいろと考え出す。
この「見ている私と見られている私」の間のソーシャルディスタンスを怠ると、人間は感情的になり、憤慨したり激怒すると自分を見失う。
たとえそれを表に出さなくても「見ている私と見られている私」の間に不満が生じると、生きがい、やりがいがわからなくなり、生きる支えがなんだったかわからなくなる。
自分を不甲斐なく感じ、悩みをドンと抱えてしまうことになる。
なので、「見ている私と見られている私」の間でも、ソーシャルディスタンスは欠かせない。
ところでコロナ以降、よく散歩をするようになった。オンラインでの仕事が多くなるとだいぶ運動不足。今年のサラ川にー
激論も パジャマ姿の 下半身
とまさしくその通り。パジャマじゃなくてもせいぜいスウェットにしたところで、上と下があまりに格差があると、それはそれで「見ている私と見られている私」の間に妙な距離感ができてしまい心のバランスを失う。
さて、その散歩。
散歩をしているとあることに気づく。
ああ向こうから人が来たなと、まずその人を見る。一旦目を逸らした後、すれ違い様にまたチラッと見る。
どちらかというと、欧米人はここで笑顔を交わすのだが日本人はここで目を逸らす。
それが厄介なので、私はもう最初から見ないことにしている。
このとき、私は「世間」を感じる。
世間というのは、「人と人との間」のことを言う。
オンラインなどで引きこもり生活に慣れてしまうと、世間の目のうっとうしさを余計に感じるようになった。散歩でたった人とすれ違いざまの目線さえうっとうしく思うほどに。
つまり、「人と人との間」の距離感が閉ざされると、それがそのまま「見ている私と見られている私」の間にまで影響を及ぼし、こころのバランスを失い始めることになる。
「人と人との間」で最も育まれるべきは、実は肌感覚である。先日、イギリスでワクチン接種をした高齢のご婦人が「これでやっと孫をハグできるわ」と言っていたが、私たちは、ソーシャルディスタンスやリモートワークでこの肌感覚を失っている。肌感覚を失うと、誰も人間嫌いになる。
心指し
コロナ禍にあって、各企業はトップの年頭の挨拶を動画に切り替えたところも多い。そこで依頼があったのは、いかにその動画を伝わりやすく演出するかというものだった。
皆さんも薄々感づいているかもしれないが、日本のトップのスピーチは原稿棒読み、無愛想、無表情というケースが多い。
そういうと誰もが我が国のトップをイメージするかもしれないが、これは申し訳ないが問題外。あくまでもこのお方を除いてもなお、ということになる。
欧米人のトップはもともと表現力が豊かな上に、これをさらに聴衆の心をわしづかみにしていくために、スピーチライターからその演出に至るまで専門家を付けている。
ようやく日本も気づき始め、コロナに至って動画スピーチの演出を依頼してきている。
確かに画面を通すと表現力が20%オチするのだが、もとよりリアルでも推して知るべしなので、それが動画となると、思わず接続不良で硬直した画面になったかと思うほどである。
いわばフリーズフェイス。
なので表現レベルのセッションに持っていくまでが、締め切りもあるのでまさに力技という感じになる。特に、この種のスピーチ原稿に必要不可欠なキーワードというのが10個ある。しかし、時間がないのでこれを2Wに絞り込む。
それが夢のメッセージ化。これを提案するとCEO以下秘書の方々、いくらなんでもと思わず苦笑。これに追い討ちをかけるように次なるキーワード「志」を繰り出す。すると今度は一同沈黙。私は心でニタリ顔。
いくら年頭の挨拶とはいえ、企業のトップとしての方針、方向性をマジに示すのに夢だけ語ればそれはもうあまりにも突飛で苦笑どころではない。私のようなものに来る仕事は、それが効果的めんじゃないとすぐに干される。
では、沈黙からニタリ顔に一転するポイントとはー夢のエンジン
夢だけを語ってもそれは単なる絵空事にしかならない。ある企業の管理職の方を対象にレクチャーをしていた時、念願の部長になった途端に次の目標を失って、うつになったと告白した方がいた。この方は、同僚はもちろん何人かの先輩を乗り越えて部長に昇進している。
確かに夢を果たしたのだが、仕事に対する志がなかった。例えば、「この仕事を通して、もっと社会に貢献する事業を立ち上げるという志を立てたとする。そのためにまず社会的地位を得よう」と言うことであれば、部長になることはあくまでも志への手段に過ぎない。たとえそれが夢だとしても、はじめに志さえあれば夢が小さかろうが大きかろうが、夢はいくらでも膨らんでくる。
つまり、夢のエンジンとなる志さえしっかりしていればそのウワモノとなる夢はいくらでも膨らませることができる。逆に夢が大きければ大きいほど、それに見合うだけの高い志を、なによりも先に立てなければならない。
また、夢は単なる理想論で終わってしまっても仕方ないものだが、志はきちんとした計画性がないと成り立たない。
だからといって志ばかりで夢を語れない人間というのは、これまた魅力がない。志のない夢はただの絵空事だと言ったが、夢のない志は人の心を捉える魅力がない。
なので、社員を引っ張っていくには魅力的な夢を目の前にぶら下げながら、ついに志を釣り上げる、幻の魚を追い求めるようなエキサイティングでスリリングな人生のフィッシングと言えるかもしれない。
今や誰でも知っている英語と言えば、「Boys, be ambitious」。
ご存知のようにこれには続きがある。
少年よ大志を抱け。
金のためでなく。私欲のためでもなく。
名声というくだらない思いのためでもなく。
人はいかにあるべきか。その道を全うするために。大志を抱け。
つまり、志とははかなき名声や利己心などではなく、「人としていかにあるべきか」そこにフォーカスを当てたものでなければならない。
ちなみに、Boys, be ambitious.の後に、省略された文字があるという。
ひとつは、「like this old man.」この老いぼれの如く、あるいは、老いぼれてもなお。
もう一つは、「in Christ 」。
札幌農学校(現.北大)を開講したクラーク博士は、クリスチャンだったので後者の可能性も捨てきれない。
ーとなると志とは、人の命に関わるもの、夢に込められたいのちの尊厳ほどの魂があってもおかしくない。
志は「心指し」と当て字する。
幸運はゴリラと共にやってくる
「あの人は持っている」とは、運がいい人のことを言う。それもただ運がいいだけではなく、逆境の中で運をつかめる人。
コロナという不運を世界中が抱えた中で、持っている人と持ってない人が自ずと別れていく。
運がいいか、悪いかを科学的に分析した心理学者リチャード・ワイズマン博士。運のいい人になるための4つの法則を科学的に分析している。
その著書「運のいい人にはワケがある!運を鍛える《ゴリラ》の法則」。
原題はー「Did You Spot the Gorilla ?」
ゴリラに気づきましたか?
博士がある実験を試みた。
被験者たちに、バスケットボールの試合が録画されている30秒のビデオを見せ、彼らに片方のチームが何度ボールをパスしたかを数えるようにという課題が与えた。
この試合中にゴリラの縫いぐるみを着た人がコートの中を走り、カメラの前に立っておどけてみせるのだが、これは被験者には秘密にしておく。
その実験の結果、驚くべきことがわかった。
ゴリラが登場したことに気づいたのは、ほんの少数の人だけ。ほとんどの被験者が、パスの回数を数えることだけに神経を集中させていたために、ゴリラのことは完全に見逃していた。
ワイズマン博士によると、ほとんどの人が人生をこのように生きているという。
つまり、ほとんどの人が「ゴリラの姿をして目の前に現われる好機」を見逃しているということだ。ここに目の前にある課題だけに熱中し、心を奪われていると、他のものを見る余裕がなくなるという教訓が隠されている。
ルツは、自分に与えられた受け入れがたい境遇を前向きに捉え、これを受け入れることで、視野を広く持つことができた。
状況を「どうして私だけがこんな目に〜」と状況を否定的に捉え、そのことばかり考えていると自ずと視野は狭くなる。
ましてや、人生における「好機」。「ゴリラ」のような姿であからさまに登場するわけではない。あからさまに登場するゴリラさえ見逃す私たち。
ここでワイズマン博士が提唱した「持っている人」になるための4つの法則をまとめるとー
1.チャンスを最大限に広げる
人脈が広く外交的な人
パーティ、コミュニティ参加型
2.虫の知らせを聞き逃さない
これは直感に直感に従えるか疑り深いか
「幸運とは自分で作り出すもの」
3.幸運を期待できる
常に前向きであること。朝起きた時に「今日
の自分に期待できるか」がポイント。
4.不運を幸運に変える
逆境をともかく受け入れる。これが脳の機能
であるセレンディピティを働かせる。
セレンディピティとはー
①思わぬ時に思わぬことが起こったその瞬間に新しい発見をする能力
②何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力
③絶望的なことが起きた時に、それをこれ以上ない幸福な世界へと導く能力
苦痛、失敗、病気(コロナ)、挫折、自信喪失などに対して、「どうして私が、なぜ〜」とネガティブにならず、その状況、境遇を1️⃣受け入れる。そしてさらにー
2️⃣行動のパターンを変える
3️⃣考え方のパターンを変える
これであなたも「持っている」。
Ride on the airflow❗️
オオカミが来たぞ!
人が生きるための最も基本的なニーズは「生存と防衛の保障」にある。人はこの保障のために生き、そして働く。っていうか、少なくともこれが守られているから、安心して生き、働くことにも専念できる。
それがどんな戦場下だろうと、この人の指揮の元ならばいのちを預けることができる。この確信がなければ、誰も従おうと思わないし、その意識も高まらない。
安倍政権は、現状があたかも有事であるかのように煽っておいて、それにいかにも対処したかのように演出するのがうまかった。その繰り返しに辟易していた頃、ホントの有事が来襲すると、安倍さんがたまらずアベノマスクを持って逃げ出した。
安倍さんが敷いたレールをなんとかやりくりすればと思っていたガースーさん。それはもとよりオモチャのレールだったことをうっかり忘れて走り出したものだ。
退屈まぎれに「オオカミが来た」とウソをついて有事を装ったヒツジ飼いの男の子。それにあわてふためく村人たちをみて楽しんでいたが、いざホントにオオカミが襲ってきた時には誰も助けなかった。
内閣支持率の急下降、この程度で収まっているだけありがたく思って欲しい。こちらは、オオカミことコロナ対応の自衛に大忙しなのだ。
「ワクチンさえできれば」国民の意識も変わると思っているのだろうが、それほど国民は甘くない。