HPUTC’s diary

想定外のパンデミック。滞る就活、内定取消し、リストラ。このピンチをチャンスに変える人間力UP養成講座開設中!

それは1分に1度続いた

我が国のリーダーにこれほど腹を据えかねることはない。うつろな目にあの風采の上がらない体で「〜したいと思います」と、およそリーダーとしては失格の言葉を並べ立てる。このあいまいで、「うまくいかなかったらごめんね、ごめんねー」というワードがおよそ1分に一回のペースで出てくるという。

 

「聞く者を不安に陥れようとするなら、語尾にこのワードを付け足せば良い」というほどに、リーダーとしての禁句

 

「非常に厳しい状況です」と言い切るのと、「非常に厳しい状況だと思います」とではまるで印象が違う。だいたい語尾をこねまわす人にろくな人はいない。ストレートに「心より感謝します」と言えば伝わるのに、妙に勿体ぶって「心から感謝申し上げるしだいです」などとわけのわからない感謝を述べられても、誰もピンとこない。

 

国民に自粛を押し付けておいて自分たちの会食はルール化できないというまさかのWスタンダードといい、ビジネス入国をそのままにしてのお粗末な#緊急事態宣言といい、それて困ると必ず「専門家の意見を聞きながら」と、この人に当事者意識、危機感があるのだろうか。このような人によく付いてきたファーストレディの方をご尊敬申し上げたい。

 

ひたすらお願いベース、〜と思います、〜誰それの意見を聞きながら〜と。ことごとく責任転嫁。このような人に国を任せていたら、このコロナ禍人災になりかねない。っていうかもうなっている。

 

それにしてもこうも毎日腹が立つと、自ずと#ブログ更新がまめになる。そのあたりは総理に感謝申し上げたい。

 

 

 

 

お願いベースは責任転嫁

政府は、昨年から国民に「お願い」ばかりしているが、それでなんとかなると本気で思っているのだろうか。じゃあ少しはお願いに応えようかと腰を上げたのはいいが次の対策があいまいなので、こちらは中腰のまま立っていいのか座っていいのか、未だにわからない。

 

当然、私たちが何よりもしっかり対応していく責任はあるが、それがどこに向かっていくのか統率が取れないままだと、さすがに限界がある。

 

#「緊急事態宣言」みたいなのを出すのもいいが、これまたお願いベースの補償も対策も中途半端なそれなので、「よし、これならなんとかなりそうだ」という気にならない。「こんなんでなんとかなるのだろうか」という疑問ばかりがつきまとう。ほぼほぼ拘束力のない緊急事態宣言では抜本的対策にはつながらない。

 

要するにリーダーがどこにもいないから、動きようがない。そもそもリーダーというのは、そんなにお願いばかりで務まるはずもない。お願いしてうまくいかなかったら「あんなにお願いしたのにちゃんとしてくれないから」と、結局こちらに責任を押し付けてくることになる。そんなのはリーダーではなく、子供の喧嘩レベルにもならない。

 

リーダーというのは、具体的な目標をまず掲げ、それに対する数字、データ、エビデンスを明確にすること。責任の所在はあくまでも自分にあることを示し、一人ひとりがやるべきことを明確にすると共に、自分一人で巨石を抱えすぎないようにすることにも配慮し、この局面を心を一つにして乗り切ろうという一体感を醸成できなければならない。時には、自らの痛みと弱さもまた、隠すことなく明らかにする勇気も必要である。

「コロナ撲滅に向けてこれだけのことをするから、しっかり従ってもらいたい。それに対する補償はこれだけの数字を明確にする。それで不足のこともあるだろうがこれが現状できる精一杯。しかし、この方針には80%以上成功する公算がこのようにデータとして出ている。したがって、共にこの目標をしっかりクリアしようではないか。

これでもしうまくいかない場合は、私が全責任を取る。このコロナでもうこれ以上、誰一人不幸な思いや悲しい思いはさせたくない。今や日本列島運命共同体。これまでの対策は、確かに曖昧なところがあった。そこが自分の弱さであり、ここは自らを戒め、はっきりお詫びする。しかし、今回は私も腹を括ってしっかりコロナと向き合うので、この具体的な方針と目標に間違いなく従ってもらいたい」くらいのことを言ってみたらどうなんた。中途半端な後出しジャンケンばかりしてないで、徹底的な対策をとってもらいたいものだ。 

 

お願いベースでの物言いは、いかにも謙虚に見えるが、リーダーとしてこれほどの傲慢、高慢、無知な姿勢はない。

国にそのリーダーがいない限り、ともかく自主防衛を徹底していくしかない。

 

 

 

 

 

 

正しい抱負の立て方

あけましておめでとうございます!

新年になると決まって立ててみるが、2月の声を聞くあたりになると腐り始めるもの。確かに、そうなりがちな「抱負」も、このような立て方をすれば、なるほどコロナ禍の人生が希望に満ちてくる。

そもそも抱負って何か?

抱負とは、「心のなかで温めている計画や決意」のこと。ーというと、目標に似ている感じもするが、「目標」はもっと具体的な計画のこと。目的を成し遂げるために、目標をいくつかカラーコーンを置くようにコースを定めていくのが目標。例えば、リモートワーク対応の家が欲しいと思ったら、「そのために貯蓄をする」が抱負で、「家を建てる」が目標になる。

つまり、「〜ために〜をする」とすれば、「〜ために」が抱負になり、「〜をする」が目標となる。

この抱負を立てるのに必要なキーワードがある。それはー

 

喜び 目的 目標 願望 希望 充実 自信 誇り 夢 志 

 

この10Wの中から6つ以上使って、今年の抱負を、次の意味に従って立ててみよう!

まず喜びの最上級「歓喜から。

これをギリシア語で「エクスタシス」という。「エク」枠+「スタシス」立つ=「枠の外に立つ」という意味。つまり、想像を超えた想定外の喜びの世界のことを言う。


正月といえば初日の出だが、暗闇から昇る朝日をどれほどに想像しようと、いざ昇ってきた朝日を見た刹那、はるかに想像を超えた美しさに歓喜することになる。つまり、そこは日常の枠を超えたライン。これをカイロスライン」という。カイロスとは、物理的な24時間(クロノス)の枠にはまらない時間帯のことをいう。

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上記の図のように、日常の枠の中でいくら抱負を立てても、実は何の意味もない。すぐに飽きてしまう。カイロスラインを目指すから、正月を迎えるときのように何か晴れやかな気持ち、ワクワク感、ドキドキ感が湧き上がってくる。

コロナ禍では、ソーシャルディスタンス、換気が必須となるが、それが抱負となると、何よりもこの歓喜の枠に導くワードを整理しておく必要がある。以下、日常枠vsカイロス枠で比較していく。

はじめに、願望vs希望ー

願望
願望と希望はどう違うだろうか。願望は、果たしてそうなるだろうかという不安が伴う。
希望
希望には、必ずそうなるという確信を伴う。日常の枠の外に定められるもの。

次に、達成感vs充実感

達成感

どんな時に充実感を感じる?と聞くと、「スケジュールが埋まっているとき」「課題をやり切ったとき」「お腹が満たされているとき」などの答えが返ってくる。しかし、これらは全て「達成感」である。つまり達成感とは、「何かを成し遂げた時に起こる満足感」のこと。

充実感
超現実的、超自然的感覚を伴う。剛速球の大谷選手の球がゆっくり見えてホームランを打ったり、取れそうもないヘンス際の大飛球を捕球できたり等。同じ満腹感でも、とびっきりうまいものを口にした時。これなら充実感に入る。

次は、誇りvs自信

誇り

同じ誇りでも捨てた方が良い誇りと、そうではないそれがある。
捨てた方が良いのは、「実績や評価、才能、信念などに裏づけされたプライドや、それに伴う堂々とした振る舞い」

このままでは、日常の枠を超えられないが、これに自制心が伴うと、持つべき態度としてふさわしい「矜持」(きょうじ)となる場合もある。

自信
実績に関係なく心の底から湧いてくる感情。実績や評価を当てにした自信は、真の自信ではない。一流大学や一流企業に入ったり、上司の高評価を得たりすることが自信だとしたら、企業倒産や頼みの上司が転勤により実績も評価もご破算になったら、同時にあったはずの自信は失望に変わる。本来の自信は、枠の外に定められるもの。 

以上の柱となるのが、これを達成に導くための目標と人生のゴールとなる目的となる。目標は適宜変えても良いが、ゴールは余程のことがない限り変わらないもの。

目標
目標は、目的(ゴール)を目指すための指標のこと。その都度立てた目標をたどっていけば、やがてゴールの到達できる。目標は、日常枠からしだいに枠の外へ。

目的
目的と目標はどう違うだろうか。目的はゴールのこと。「人生のゴール(生きる目的)は?」と問われたら、どう答えるだろうか。それがあいまいだとお客様をリードすることはできない。目的は、日常の枠の外に定める必要がある。

そして、次に志vs夢だが、ここで少しフィールドが変わる。

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いくら夢を抱いても、志がなければ適わない。目標とごちゃまぜになるケースが多いが、例えば、医者になることを目標とするなら、貧窮国で医者にかかれない子供たちの医療に専心することを志(信念)という。あくまでも目標の更に向こうにあるもので、夢のエンジンとなるもの。志は、日常の枠内で設定し、枠外の夢へと噴射させる。


いのちがけで自分を奮い立たせることができるもの。因みに、人は夢を見るために睡眠を取るともいう。当然、夢は日常の枠を超えたところに設定し、しかも上記の図とはフィールドを異にするもの。

つまり、まず地上でカイロスへと飛び出すための抱負を立ち上げ、これに実をならせるものが志と夢となる。

 

これを3年毎の見直しをしながら、徐々に更新していくと、気づけばあなたもカイロスラインに立っている。

まず、目標<志<目的<夢を、木の幹としながら、他のワードを上記の用法に従って書いてみることをお勧めする。ちなみに、書き切るまでに10日は要する。

 

 

'20わが家の10代ニュース

コロナのパンデミックが続き、コロナに翻弄された一年。

アベノマスクに始まり、後出しジャンケンに付き合わされながら過ぎようとしていく一年。

どの日々も、どの一年も、良くも悪くも自分の責任という実感と共にあるのだが、今年だけは、「政府という」という別人格に振り回された一年でもあった。

 

わが家の10代ニュース


1位 持続化給付金の支給

大学の非常勤講師としての仕事や、企業への講演が激減。

2位 クリスチャンとしての礼拝もリモート化

3位 4人目の孫誕生 コロナベイビー

4位 YouTuber・Cafetalkerとなる

2つのチャンネル併せて81回配信

オンライン講師として226レッスン、世界中から118人の受講生を迎え入れる

5位 夫婦の時間と会話の長さ

家にいる時間が長くなり、妻との会話が圧倒的に増え、これまでできなかった妻孝行をさせて頂いている

6位 正式に遺言書をしたためる

コロナで「死」を身近に感じている。特に基礎疾患のある身としてはもはや他人事ではない。

7位 ラジオ体操と散歩の日々

8位 年賀状をストップ

9位 親しい友人たちの相次ぐ死(コロナとは

   関係ないが)

10位  オンラインによる講演などが増える

総じて、わが家の今年の漢字 「黙」

リーダーの資格

「この人にならついていける」と思うのは、「この人にならいのちを預けられる」という意味だ。

支持率急落でオタオタと後出しジャンケンをしているお粗末なリーダーには、とてもついていけない。この人と一緒に年越しなんてもっと嫌だ!

 

私たちが求めているのは、あくまでも統率者。間違ってもボスではない。N階氏のようなボスではなく、きちんとタイムリーに指揮権を発動できる統率者だ。

常に先頭に立ち、国民がフルパワーを発揮できるように仕えることができるリーダー。

これをスタバのハワード・シュルツが確立した「サーバント・リーダーシップ」という。

これを国の指揮権に置き換えるとー


Nation First.
「リーダーは国民のために存在し、国民に尽くす」
Desire to Serve.         

「国民のために尽くしたい」

Focus on Nation     
「自分の(会食)より国民を重視」  

Service rather than Control.
「国民をコントロールするのではなく、尽くすことで導く」

 

およそこれとは程遠いS総理。貧相なのは顔だけじゃない⁈

 

118回の嘘とクリスマス

メリークリスマス!

エス降誕の知らせが世界で一番最初に、最速で届けられたのは、野宿しながら夜番していた羊飼いたちに対してだ。彼らは社会的にも最下層で、見下された階級だった。その彼らにイエス降誕の良き知らせ(福音)が届けられたと言うのは、実に意義深いことである。

 

しかも、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守ることが可能な季節は、イスラエルの五旬節(2020年は5/17)から仮庵の祭り(2020.10/3-4)の間の期間。ーということは、エスが生まれたのは12/25ではなく、明らかにこの時期だったことは、今や一部の人たちにとっては常識になっている。

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しかしこの日を「クリスマス」としたことは、ローマ帝政時代における政治的戦略―異教文化の受容―と深いかかわりを持っていた。

 

いずれにしても、世界中がイエスの降誕を祝う時期。各国、コロナ禍でロックダウンになろうとも、なんとかクリスマスだけは解除したいと躍起になっている。

それに、クリスマスだけは戦争も休戦するというエピソードはいくらでもある。

 

1914年のベルギー、寒いクリスマスイブのことでした。兵士の歌声が壕の中から響いてきた。まず、ドイツ語の「きよしこの夜」が、そして英語。その日の朝まで撃ち合っていた兵士たちが、武器を置き、壕から上がって中間地帯に行き、握手してクリスマスの挨拶を交わし、配給の中から自発的に贈り物を交換した。休戦は次の日まで続き、彼らは笑って語り合い、サッカーの試合までしたという。

 

クリスマスだけは誰にとっても特別なのだ。しかも、12月に慣らされた私たちは、それが実は10月頃だったと言われてもピンとこない。

エスの降誕を祝う聖夜。

クリスマスの主人公は、あくまでもサンタではなく、イエス・キリストであることを忘れてはならない。サンタの夢だけ追いかけていても、コロナだけはクリスマス休戦も、年末も正月もない。そろそろ私たち自身が目を覚まさし、しっかりと真実に目を向けていかないと、愚かな政府に足元を掬われかねない。安倍さん「118回の嘘」は、これからも別の人によって繰り返されていく。これもコロナのように際限なく、ボヤボヤしているとまたもや翻弄されかねない。これってコロナより怖いことだ。

 

ところで、日本では10月の国内の自殺者数が年初来の新型コロナの死者数を上回った警察庁が発表した同月の自殺者は2153人と前月から急増。一方、厚生労働省がまとめる日本の新型コロナ死者の合計は、11月27日時点で2087人となっている。そして、今や3000人を超えているが、自殺率もそれを超える比率で高まっている。特に、女性の自殺者数が83%と急増している。クリスマスにこんなことを、と思うかもしれないが、今も苦しんでいる方々がいる。

 

やっぱ目を覚まさなくては!

GoToストレス ゲソッ!

タコは外敵に襲われた際、自分の足を切り離して逃げるが、無くなった足はすぐに再生される。

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しかし、ストレスで自らの足を食べてしまうこともあるという。そんな時、足が再生されることがない。

そのままゲソッと痩せていく。

自分で足を食べるのは、本来の目的ではないからだ。

 

どう考えても、対応が後手後手としか思えない政府、というか菅総理

11.20日に分科会がGo To キャンペーン停止を促してから、ようやく対応したのが12.14日。

先日、NTVニュースZEROの有働アナが総理に直接インタビューしていたが、「全ては分科会のご指示に従って〜」と繰り返すばかり。

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「総理のメッセージが国民に伝わってこない。それがしっかり具体的に伝わって来れば、国民もそれならもう少し我慢しよう、と言う気になるのですが…」と突っ込んでいたが、あくまでも「分科会の先生方の〜」を繰り返すばかり。

有働アナは「それで総理のお孫さんには伝わりますか?」といささか食傷気味。

 

色々あってもこのリーダーの言うことならば、多少の無理は聞ける、と言うものだが、このままだとそれこそ手も足も出ない。ゲソって!