HPUTC’s diary

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心指し

コロナ禍にあって、各企業はトップの年頭の挨拶を動画に切り替えたところも多い。そこで依頼があったのは、いかにその動画を伝わりやすく演出するかというものだった。


皆さんも薄々感づいているかもしれないが、日本のトップのスピーチは原稿棒読み、無愛想、無表情というケースが多い。
そういうと誰もが我が国のトップをイメージするかもしれないが、これは申し訳ないが問題外。あくまでもこのお方を除いてもなお、ということになる。

 

欧米人のトップはもともと表現力が豊かな上に、これをさらに聴衆の心をわしづかみにしていくために、スピーチライターからその演出に至るまで専門家を付けている。
ようやく日本も気づき始め、コロナに至って動画スピーチの演出を依頼してきている。

 

確かに画面を通すと表現力が20%オチするのだが、もとよりリアルでも推して知るべしなので、それが動画となると、思わず接続不良で硬直した画面になったかと思うほどである。
いわばフリーズフェイス。

 

なので表現レベルのセッションに持っていくまでが、締め切りもあるのでまさに力技という感じになる。特に、この種のスピーチ原稿に必要不可欠なキーワードというのが10個ある。しかし、時間がないのでこれを2Wに絞り込む。

それが夢のメッセージ化。これを提案するとCEO以下秘書の方々、いくらなんでもと思わず苦笑。これに追い討ちをかけるように次なるキーワード「志」を繰り出す。すると今度は一同沈黙。私は心でニタリ顔。

 

いくら年頭の挨拶とはいえ、企業のトップとしての方針、方向性をマジに示すのに夢だけ語ればそれはもうあまりにも突飛で苦笑どころではない。私のようなものに来る仕事は、それが効果的めんじゃないとすぐに干される。
では、沈黙からニタリ顔に一転するポイントとはー夢のエンジン

 

夢だけを語ってもそれは単なる絵空事にしかならない。ある企業の管理職の方を対象にレクチャーをしていた時、念願の部長になった途端に次の目標を失って、うつになったと告白した方がいた。この方は、同僚はもちろん何人かの先輩を乗り越えて部長に昇進している。

確かに夢を果たしたのだが、仕事に対する志がなかった。例えば、「この仕事を通して、もっと社会に貢献する事業を立ち上げるという志を立てたとする。そのためにまず社会的地位を得よう」と言うことであれば、部長になることはあくまでも志への手段に過ぎない。たとえそれが夢だとしても、はじめに志さえあれば夢が小さかろうが大きかろうが、夢はいくらでも膨らんでくる。

 

つまり、夢のエンジンとなる志さえしっかりしていればそのウワモノとなる夢はいくらでも膨らませることができる。逆に夢が大きければ大きいほど、それに見合うだけの高い志を、なによりも先に立てなければならない。
また、夢は単なる理想論で終わってしまっても仕方ないものだが、志はきちんとした計画性がないと成り立たない。

 

だからといって志ばかりで夢を語れない人間というのは、これまた魅力がない。志のない夢はただの絵空事だと言ったが、夢のない志は人の心を捉える魅力がない。
なので、社員を引っ張っていくには魅力的な夢を目の前にぶら下げながら、ついに志を釣り上げる、幻の魚を追い求めるようなエキサイティングでスリリングな人生のフィッシングと言えるかもしれない。

 

今や誰でも知っている英語と言えば、「Boys, be ambitious」。
ご存知のようにこれには続きがある。

 

少年よ大志を抱け。
金のためでなく。私欲のためでもなく。
名声というくだらない思いのためでもなく。
人はいかにあるべきか。その道を全うするために。大志を抱け。

 

つまり、志とははかなき名声や利己心などではなく、「人としていかにあるべきか」そこにフォーカスを当てたものでなければならない。
ちなみに、Boys, be ambitious.の後に、省略された文字があるという。
ひとつは、「like this old man.」この老いぼれの如く、あるいは、老いぼれてもなお。
もう一つは、「in Christ 」

 

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札幌農学校(現.北大)を開講したクラーク博士は、クリスチャンだったので後者の可能性も捨てきれない。
ーとなると志とは、人の命に関わるもの、夢に込められたいのちの尊厳ほどの魂があってもおかしくない。
志は「心指し」と当て字する。