HPUTC’s diary

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毒親の正体

「誰かの母親である前に、ひとりの人間なんだ」という思いを確認したい、認めてもらいたいという思いがある。
ところが、子どもの方にも当然、同じ言い分がある。
この子ども側の本音を一撃で表現し得たのが、言葉が悪いがこの「毒親

 

どんな親でも時に大声を張り上げ、理不尽とも思える怒りを発し、子供をコントロールしようともする。私も思い当たる節はある。

 

それにしても、毒親とはあまりにインパクトがありすぎて一般的には馴染まない。こんな親がいたら誰でも逃げ出したくなる。
アドルトチルドレンというのもあったが、はるかにそれを凌ぐ毒のある言葉だ。
確かに、近年の虐待による子供の犠牲を考えると、言い得て妙なのかもしれない。

しかし、「過干渉、過保護、暴言、暴力、虐待、無視(ネグレクト)」を総称したものと言われると、はじめの二つあたりは十分に可能性がある。この中で最も多数を占めるのが過干渉だという。私も自慢ではないが、過干渉ではなくとも、十分に過保護だったような自覚がある。

この毒親という言葉、どこからきたかと言えばスーザン・フォワードによる「毒になる親」 という本。

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1988年に刊行され、日本では2015年あたりに毒親本・毒親ものとして本や漫画などに取り上げられ、一つのジャンルを築いている。

この本によると、毒親とは「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」


心理学的には「Negative Parenting=ネガティブ・ペアレンティング」と言われる。

その特徴を並べ立てると次のようになる。
あなたにも、どれが当てはまるものがあるだろうか。

 

1.子供を管理する
2.子供を支配する
3.あなたのためと押し付ける
4.必要以上にしてあげる過保護
5.過干渉になってしまう
6.子供に呪いの言葉をぶつける
7.子供を抑圧し、罪悪感を植え付ける
8.就職、進路にまで口を出す
9.恋愛や結婚にまで口を出す

 

いやはや、私はやはり過保護の項目が思い当たる。No.1にしても2も、親の都合に合わせてもらうために、なんやかんやと言ったこともある。自慢じゃないが親から言わせれば、「心配なのでついつい」というやつだ。しかし、これがいけない。「可愛い子には旅をさせよ」。


10歳を超えたらある程度突き放さないと、自主性が生まれてこない。私も小4からカブスカウトになり、さらにボーイスカウトとなって、
この時に一番成長した感じを覚えている。
次男なので、私もまただいぶ過保護に育てられたわけだが、10歳を超えて散々サバイバルに挑戦させられ、一気に自立していった。

 

実際、自らを客観的に捉えたり、目先のことに捉われずに長い目で物事を見る視点が育つのが
10-13歳に一気に成長する、というからこの機を逃してはいけない。
逆にこの機に、虐待を受けたり、管理されすぎたりすると、自信がなく、判断力の弱い人間に育ってしまうという。

 

7つの地雷

 

これは誰もが持っている、しかも日常的に使っている危険なワード。そんな気がなかったのに人を傷つけてしまっていたという経験は、誰にでもある。ここにその7つの地雷源がある。

 

非難・批判・比較・レッテル・侮辱・恩着せ・皮肉

 

私たちの足元は、この7つの地雷に取り巻かれ動こうにも動きようがない。
毒親と言われる方々は、自分がこうしたものに取り巻かれていることには敏感だが、自分もこうした地雷を仕掛けてしまっていることにひどく鈍感と思われる。

 

非難・批判に漏れなくついてくるワードが
「どうして〜」「なぜ〜」
どうしてあなたは、これくらいのことできないの」「なぜ、私がそんなことまでやってあげなくちゃいけないの」 
この常套句には、最後が否定で終わるネガティブの横綱ワード。 

 

次の地雷が「この人よりまし」と心の中でニヤリと思う比較。人と比較して自分の子ができていないと、なぜ、どうしてと烈火の如く怒るのが毒親。自分の子が上であれば自分のことのように泣いて喜ぶのも特徴。

 

子供の前でもお構いなく出っ歯、弱虫、ノッポ、チビとレッテル先生や子どもの友達までも
レッテルを貼る。

自分の子が他の子よりも上だと相手を侮辱し、下だと我が子を侮辱する。

「せっかく〜してあげたのに」と子供に対して恩を着せる。弁当を残してきたり、せっかく新調した洋服を汚してきたらもう大変。
せっかくやってあげたのに〜と怒り心頭。
そして人や我が子を皮肉るのもとてもうまい。
「字がうま過ぎて読めない」
「頭が良すぎて言っていることがさっぱりわからない」

とか、この7つの地雷は一つだけでも人の心を木っ端微塵にする核兵器になりかねない。それが我が子へ向けられるとなると、確かに「ど・く・お・や・といわれてもしかたがない」。

すでに子育てを終えた私さえも、未来を背負う子供たちの行末の暗雲に気が咎めている。