#パチンコ店になおも通う人々
そっちに⾏けば間違っている、とみんなが知っているのに、気づかないフリをしてなお突き進み墓⽳を掘る。
今回は、昨日更新したYouTubeの内容をチョイとアレンジしてー。
なおもパチンコ店に来た人への取材に、「退屈だから来た」となんとも稚拙な答え。
単なる退屈を、「実りある退屈」に昇華できない未熟さの方が、今回のコロナ以上に世界を、日本をダメにしていく。
⽇本⼈のあいまいさ
「元気?」と聞くと、「まあね」と答える。 どっちだかわからない。 このあいまいさがあいまいな#外出自粛に結びつく。
⼿始めにあいまいなコミュニケーションをやめてみたらどうか。
その基本はー
① 正論を⾔わないこと
外出自粛で#夫婦の不和が増えているという。もともとくすぶっていた不和が明るみに出てきたという分析もある。しかし原因は、もっと違うところにあるような気がする。それは、日本人はふだんあいまいな割に、いざとなると正論を吐く傾向にある。
「正論は確かに道理にかなっているが、⼈の⼼に届かないせっかちさ」
② 正解を⽬指さないこと
正解ってどこにもない。
どこにもないので、#ワクチンを開発しない限りは右往左往するばかり。
あなたが思う正解は、あなたを基準にしているだけで、それは正解とは限らない。
② あいまいな表現は使わないこと
⽇本語はあいまいな表現の宝庫で、これが俳句、短歌、川柳などの⽂化を作ってきた。 しかし、これってあいまいさを絵文字化してさらにごまかしていく現代のコミュニケーションには合わない。
あいまいな表現をやめてみないか。
何かと⽐較する場合は、具体的な数字 ⼤きさは「東京ドーム何個分」 120%の緊張度
例える場合は、〜のように メロンのように⽢い性格 気持ちだったら具体的に 「このまま突っ⾛るのはリスクが⾼い」
言い方は格好良さげだがどれほどのリスクなのかあいまいだ。
「このまま突っ⾛ると全員が共倒れになる」とか にしないと。
不幸な出来事を告られたときには、 笑ってあいまいにごまかす人が多い。
こういうときは、⾃分の痛みの経験も含めて⼼から寄り添ってみてはとうか。
こうしたコミュニケーションは、何よりも機転の効いた会話を生み出す。
今回のような有事に、#国会の答弁のごとくあいまいさのオンパレードではなく、せめて機転の効いたやりとりを展開してもらわないことには、#危機管理能力までもあいまいのまま、#コロナの第二波に日本列島は沈没していく。
この詳細は、YouTubeまで