HPUTC’s diary

想定外のパンデミック。滞る就活、内定取消し、リストラ。このピンチをチャンスに変える人間力UP養成講座開設中!

君の瞳に100万ボルト

会話をするとき、相手のどこを見て話すか?

カメラ目線。確かに、オンラインではそうでしょう。っていうか、実はこれもカメラ目線で話している人はほとんどいない。ほぼほぼ画面の方を見てしまっているので、目線が合わないまま話していることになる。

 

0.5秒のまなざし

人は、瞳を見つめられると脳内から相手に対するネガティブな思いが消されていくという。これをできれば3秒。これを超すと○○ハラスメントになるのでご注意。以前、学校崩壊状態の高校に呼ばれて講演したとき、その高校の校則に「異性と5秒間目を合わせないこと」というのがあった。これでは私の場合、その高校の正門さえくぐれないと思ったが、確かに5秒だと見つめられた方が不安を感じる。3秒までなら暖かな「まなざし」を感じる。

 

ここで、「見つめる」と「まなざし」の違いだが、前者は自分の思いが主体になり、後者は相手に対する気配りが主体になる。

なので、ここは「見つめる」ではなく、「まなざし」がいい。

 

逆に、オンラインにありがちな「相手を見ない」ということは、「あなたは存在しない」というメッセージを発していることに他ならないので、このあたりにも注意が必要だ。

 

いずれにしても、何よりも、それがオンラインだろうが、「相手の瞳にまなざしを送る」こと。これは、相手の警戒心を解く効果があり、認知症患者を介護するときなどのマナーだという。

 

「マスク笑顔」の「瞳目線」、そこに0.5秒のまなざしが加えられると、マスクのうっとうしさも、ソーシャルディスタンスもなんのその、ということになる。

 

 

 

 

たった30秒の無駄話

口べたな人、コミュニケーションが苦手な人は、ちょっとした雑談が無駄話、つまらない話と思いがち。そして、いつもちゃんと話さなくてはと、緊張してしまう。

「ああ、またこんなつまらない話をして中身がない人間と思われたらどうしよう」
「こんな無駄話で相手の時間をつぶしては申し訳ない」
「話が途切れてしまった。なんとかちゃんとつなげなくては」

 

そもそも雑談の特徴とは

 

①中身がなくていい
②結論もいらない
③なのでサクッと切り上げる

 

雑談のおもしろさは、中身がない上、結論もない。だからおもしろい。それに意味をつけようとすると無理があるので、サクッと切り上げる。


ところが、ここにされど雑談の極意がある。
中身がない話をしている時こそ、あなたの人格や社会性が垣間見られる。
もっと言えば、たった30秒であなたの人間性が見破られていると言っても過言ではない。

 

なので、ちゃんと正しく雑談をする必要がある。雑談というのは、特にテーマを決まっていないだけに、それが確かな会話の糸口を見つけるきっかけになる。

 

出身校や出身地、好きな食べ物、趣味や特技、よく観るtvドラマ、好みの俳優やタレント、流行り言葉やファッションなど、それはもうネタは尽きない。

ちょっとした雑談から話が広がり意気投合。

ソーシャディスタンスを物ともせず、目の前の景色が一気に変わり始める。

☆800に心より感謝!

コロナによる非常事態宣言が発令されたのが4月7日。当初は連休明けの5/6までだったが最終的には5/31まで延長となった。私も急に講演キャンセルや大学の授業がなくなり、多くの時間を家で過ごすことを余儀なくされた。そうじゃなくてもコロナ騒動は2月あたりから続いており、3月中旬あたりには政府の対応の遅さにあきれ始めていた。

それで、すぐに始めたのがYouTubeの配信。コロナのために、にわかに就活が滞り始めた教え子たちを中心にした学生向けだった。それまでYouTubeはおろか、自分が配信するなんてことは思ってもいなかったのでそのノウハウを知らないまま、ともかく配信。それから編集方法などを研究しながら現時点で62本配信(1本目配信3/24・チャンネル登録者数212)。

 

そして、このHatenaブログを4/10から始めて、72作目にして800マークに達したどれもこれも視聴者、読者の方のおかげでしかない。そして、どれもまるで限定公開しているかのようにアクセス数は遅々として増えないものだが、コロナが愚直に蔓延するように、こちらも愚直に進めていくしかない。

 

いつも読んで頂いた上に、☆マークまで付けて頂き心より感謝しております。

今後ともよろしくお願いします。

 

ちなみに、衣替えの時期に合わせて#こんまりのときめき「お片づけ」について、たった今下記配信してみました。もはや、学生向けではなくなっています。併せてよろしくお願いします。

 

人間力増進講座vol.41

https://youtu.be/JsfXhRSqX8c

 

 

しあわせのポジション

コロナ禍を「なんで〜」「どうして〜」「いつまで〜」とつぶやきながら生きるか、withコロナを、素直に#GoToTokyoと受け入れて生きるかで、幸せのポジションはだいぶ違ってくる。

 

私たちの脳は、どんなにがんばって使っても最大12%ほどしか使えたないと。

この12%以上、回転していく状態をセレンディピティという。そうなると、あなたは魅力的な能力を発揮することになる。

例えばー

ハプニングやアクシデントがあったときこそ、新しい発見をする能力


コロナによるウィルス戦争も相当なアクシデント。こんな時こそ、たっぷりと自信を発揮する。


何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力


私もよく探し物をすることが多い。

ひどい時なんか探しているうちに、何を探しているのかまで忘れてしまうというありさま。

ところがこんな時に、それ以上のお宝を発見できたらこんな幸せなことはない。


それはもう探さなければ見つからなかったお宝。

それはもう失敗したからこその成功。

それはもう久しぶりに着た洋服から500円玉が見つかった以上の喜び。

そしてー

絶望的なことが起きた時に、それをこれ以上ない幸福な世界へと導く能力


つまり、このセレンディピティ状態になればもう怖いものなし。

脳の回転が12%から13%になっただけでも、インスピレーション、直感力、表情力、立場逆転力が漏れなくついくるというのだから、これはなんとしても手に入れたい。


これは宇宙に飛び出すロケットのように第一噴射と第二噴射がある。

第一噴射は、ヤゴがトンボ、サナギが蝶になるがごとく。

ヤゴはどこに住んでいるか?

そう、水辺。しかもあまり格好は良くない。

それがあの大空を飛ぶトンボ。

地上をうごめくさなぎを見て、「かわいい」という人はあまりいない。

それがあの美しい花の周り飛ぶ蝶に。


つまり、住むフィールドが180度変わる。

これをメタモーフォーシスという。

まずは、ここから変えてみよう。そのためにはー


1.行動のパターンを変える

2.考え方のパターンを変える


これが逆ではダメ。

「あなたそれをやるのによく考えたの?

よく考えてから行動しなさい」とー

これは脳科学的には、トリセツ違い。

何よりもまず、行動のパターンを変える。withコロナと共に、行動のパターンを変えるには絶好のタイミング。何から始めるかー。


あなたは食事の時、好きなものから食べるか後まで残すかー

好きなものからならば最後まで残し、後まで取っておくあなたは、最初に食べる

行く道帰る道、身支度の順番、メイクの順序などを微妙に帰るだけでも、変化に適応する大きな一歩となる。

 

行動のパターンが変われば、自ずと考え方のパターンも変わってくる。

これがある程度できるようになったら、いよいよ第二ロケット噴射「セレンディピティ


何よりもまず「受け入れる」

楽しいことや嬉しいことは、放っておいても受け入れるが、思わぬ失敗や苦しいこと、嫌いなことやりたくないことはあまり受け入れたくない。これをともかく素直に「受け入れる」


例えば、がんを宣告された人がこれを受け入れた人と、受け入れられない状況が続く人とでは、まるでその後の経過が違うという。

総じてー


1.受け入れる

2.行動のパターンを変える

3.考え方のパターンを変える

 

コロナ禍ー。

どうやらこのあたりに「しあわせのポジション」がありそうだ。そこはきっとGoTo Paradise⁈

妬み、やっかみ、ひがみ

私たちの心を騒がせる妬み、やっかみ、ひがみ。
ネギ味噌だけでご飯何杯でも食べれるというのと同じくらい、これだけで争い、戦争が何回でも繰り返される。

 

私たちの心に巣ず喰う妬み、ひがみ、やっかみ。こうした感情は、「ネガティブな感情」と「独占欲求」からくる。
独占欲というのは恋人関係に多いが、ネガティブな感情は自分と同族同種類である人に連鎖して起こる。
つまりら、「自分の興味」や「やりたいこと」や「できること」などに対してのみ起こる感情だ。

おしゃれにあまり興味のない人は、おしゃれな人を妬むことはないし、料理に興味ない人が料理上手な人をやっかむことはない。

 

しかし、いつもどこかで人にどう思われているかを気にし、このことにとらわれていることも正直ある。

YouTubeのアクセス数なんか、初めのうちはそればかり気にしていた。今はもう、ただ粛々ととりあえず目標の100回に向かっているだけ。

なんていいながら、なんでこんなのがこんなにと比較して、時々オチル。

人との比較、これがオチル落とし穴。

 

嫉妬を起こしやすいタイプを見ても、やはり「比較」がその動機づけになっている。

 

人目が気になる人
人によく思われたい人
平和主義の人
人との関係を良好に保ちたい人
自分よりも誰かを優先させてしまう人
自信のない人

 

こう並べ立ててみると、いずれも思い当たる節がある。つまり、私たちは常に何かに嫉妬しながら生きていると言っても過言ではない。

「〜より増し」、そうつぶやいたとたんの反動が#GoToTroble。そこかい⁉︎

 

 

 

愛の供給源

愛の供給を、好むと好まざるにかかわらず自ら絶ってしまうー

 

コントロールの弊害

 

①セルフイメージをコントロールする

 

セルフイメージというのは、「自分に対する期待感」。朝起きたときに、今日の自分にどれだけ期待できるか、またそれを楽しむかという感性。この「羽を伸ばしたありのままの自分」をコントロールしてしまうとー

あなたの本当の姿を人に知られたくないあまり、自分を偽り、装い、次から次へと仮面(ペルソナ)を付け、装った自分になりすましていく。
とどのつまり、自分の弱さを否定し、ありのままの感情を押し殺してしまう。


②相手をコントロールしようとする

 

とかく男は、恋人や妻をコントロールしがち。これは大きな誤りで、お互いの溝は深まるばかり。今や、親は子供を、男は女性を、会社は社員を、学校は生徒を、国は国をコントロールしようと必死。
独占欲は、しだいに支配欲に変わっていく。

 

とりわけ、昭和の男は女をコントロールできると本気で思っていた。私もその一人だが、今は見る影もない。

 

③自分の問題をコントロールしようとする

 

キーワードは、「大丈夫、なんとかなる。たいした問題じゃない」という言葉。
その気になればいつでもやめられる、自分で何とかできるという傲慢、過信がますます問題を深刻にしていく。

 

④痛みをコントロールする

 

人には、嫌なことや面倒なことをともかく先送りにする傾向がある。時には、背負いきれない重荷という痛みまでも我慢し、これでうつ気味になる人も多い
この背負いきれない重荷が、あなたのストレスとなっていく。

 

こうしたコントロールによって、本来自分の中にあふれるほどに蓄えられていくはずの愛の供給を、自分から絶ってしまう。

 

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パリのセーヌ川に架けられたポンデザール橋は、永遠の愛を誓う象徴でおおわれている。
南京錠の総重量が2014年には50トンにもなって、橋の一部が損傷したため、当局はそれらを取り除かなければならなくなった
この橋の光景は、確かな愛を求める人間の願望である以上に、自分から愛の供給を絶ってきた愛への枯渇の象徴と言える。

コロナ禍におけるソーシャルディスタンス。

ますます愛は、2メートル遠のく。

 

 

究極の怒り方

娘は、よく孫を怒る。

あまり怒らないで育てたつもりなのに、娘はしょっちゅうわが孫を怒りまくる。その度に胸が痛くなる。小4になる上の孫もまた、よく怒られるようなことをするので仕方ないところもあるのだが、それにしても半端ない。

あまりのことに「そんなにはじめから怒って言っても仕方ないだろう」と注意すると、怒った声で「怒ってない」と言う。

 

しかし、これまでに「この人の怒り方は上手だなぁ」と思った人が何人かいたが、彼らに共通するのは自分が怒っていることを、まず「認める」ところにある。決して「怒ってない」などとは言わない。

 

先日投稿した「褒め言葉」は相手を、怒りは自らの怒りを認めるところにある。たとえ相手が相当悪かったとしても、怒られて当然と決めつけてかかるほど、愚かな怒り方はない。申し訳ないが、これは怒るエネルギーをまるで損するほどに効果がない。怒られた方が怒られたことで気付かされることがたくさんなければ意味がない

 

私たちは、成功したことより失敗したことの方が圧倒的に多い人生を歩んできた。ちょっと我が身を振り返っただけでも、失敗しなければ学べなかったことばかりが思いつく。

 

つまり上手な「怒り方」は、失敗した分「気づきの倍返し」ができるような怒り方。もっと言えば、怒られたのに褒められたような感じがする怒り方。これは究極、難しい!

「人生の何を見るか、またどう見るかが、次のステップ、ひいては運命さえ左右する」と言ったのはマーク・トウェイン
「想像力のピントがずれている時は、自分の目は信用できない」と語ったのもマーク・トウェイン


このマーク・トウェインについてー
アーネスト・ヘミングウェイは『アフリカの緑の丘』において、「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する」と述べている(wikipedia)。