おもてなしのパンデミック
客船飛鳥による日本初の世界一周をオペレートしたのは、今から24年前だった。私は、エンターテインメントを統括するクルーズディレクターだった。
現役引退後、大学などの非常勤講師や、もともとの演出家としての仕事をしたりしていた。客船の世界に入ったのは、ちょうど不惑。地上からいきなり海の世界に入り、惑わずどころか惑いっぱなしの私が、いきなり世界を相手におもてなしの限りを尽くすことになる。
やがて、オリンピックが東京に決定すると、にわかに「おもてなし」というワードだけが世界を歩き始めた。する
そして、おもてなしについての著書もでき、このコロナ時代になってから、パンデミック状態でのおもてなしをテーマに2冊目を、ただいま執筆中。
おもてなしは格闘技だ
おもてなしを一言で言うと、「エキサイティングでスカッとしてドラマティック」な世界といえる。これが私が実践してきたおもてなしの実感だ。そもそもおもてなしって格闘技だと思う。それが見えないウィルスに翻弄され、戦うにもどうして良いかわからない状態であればなおさらである。
もてなされることによって、「寛ぎたい」「ホッとしたい」「共感し合いたい」などさまざまだが、その根本にあるのは常に「隔離された日常の檻から解放されたい」というのがある。そして多くのお客様は、自らの内に潜むそのストレスを「投影 」してくる。例えば、心を湯呑みとしよう。そこに熱いお茶が入っていて、「これを冷ましてくれ」とあなたが頼まれる。あなたはそれをちょうど良く冷まして、「どうぞお飲みください」とお返しすると、「なんだまだ熱いじゃないか」と返されるが、同じ温度でも別のお客様は「ありがとう」と感謝する。
実にその温度差はお客様お一人おひとりによってビミョウに違う。多くの場合、お客様はストレスを丸ごとこちらに預けてくる。ともすると、これほどイライラするのは、「あなたのもてなし方のせいだ」と言いかねない。これをどうニーズに合わせて応答していくか、まさしくこれは格闘技というしかない。お客様と呼吸を合わせ、適切な間合いを取り、どんな奇襲攻撃にも備え、単にニーズに合ったお茶をお出しする(ここまでがサービス)だけでなく、飛びっきりのワクワク感を味わって頂く。私の孫も7歳から空手を習っている。まだまだ格闘技どころではないが、せめて気合の入れ方だけでも覚えれば世界が違って見えてくる。格闘技が強くなるには、攻めるだけでなく受け身にある。そういう意味では、空手ごっこみたいに向かってくる時は本当に習っているのかと思うほどまだまだ弱っちいが、避け方、かわし方がウマイ感じがする。これはお客様のパワーをうまく利用することに通じる。おもてなしというのは、ホスト(おもてなしをする側)が一方的にするものではない。餅つきみたいに共に合わせる呼吸や合いの手、あうんの呼吸で相手[お客様)の力を利用する。これができないと疲れ果て、笑顔もひきつる。おもてなしはお客様との間で醸し出す絶妙なハーモニー、そのアンサンブルが時にエキサイティング、時にスカッと気持ちよく、魅力的なカタルシス(浄化作用)を生み出す。それは、体調が悪い状態でいい映画や絵画、舞台、あるいはとてつもなく感動的な試合に出会った時に熱もダルさも浄化され、生きる気力、勇気、元気が心の底から湧き出してくるような感じといっていい。これぞお客様のストレスという熱を、自分もウィルスにかかっているかもしれないという疑心暗鬼を一気に浄化する、気合一発、絶好調のおもてなしである。
外出自粛が続くコロナ緊急体制。弱者に心を寄せるおもてなしが生きる時だ。おもてなしとは無縁の政治家たちよ、10万円で国民をもてなしたと、間違っても思わないで欲しい。
今日更新したYouTubeにて客船の苦労話の一端を話しています。
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