HPUTC’s diary

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尊厳と誇り

この写真は、終戦直後の長崎。あまりにも悲惨な原爆を省みるときに、もはやこの写真を外せないほどに、現代人の心を動かす一枚。

 

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「焼き場に立つ少年」と名付けられるこの写真は、昨年長崎を訪問したローマ法王フランシスコが、これをポストカードにして世界に配布するようにと信者たちに指示した一枚。

 

撮影したのは、アメリカ従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏。彼は19歳でアメリカ海軍に従軍し、太平洋戦争に参戦。
パールハーバー攻撃を知り、敵国日本に大きな憎しみを抱いていた。

 

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故オダネル氏が広島・長崎を撮影した写真は、300枚にも及ぶという。敗戦直後の日本の調査を命ぜられ、日本に強く抱いていた敵愾心を募らせていた彼が、この少年と出会ってから大きく変えられていく。ジョー・オダネル氏がこの少年にシャッターを切った時の回想談をかいつまんで紹介するとー

 

焼き場に十歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には二歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。(中略)

 少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見続けた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。

 

 私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。

(中略)
あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか。

アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。

 

長崎に原爆が投下されてから75年ー
この一枚の写真が語るものはあまりにも雄弁で、言葉も出ない。

 

この少年が抱え込んだ問題は、当然自ら抱え込んだものではない。彼は、戦争の犠牲者であり、自分の身に一気に押し寄せてきた戦争、原爆、弟の死。その代償はあまりにも巨大すぎて、思考も感情も完全に停止状態

そんな中にありながら、真っ直ぐ前を見つめる目、真一文字に結ばれたくちびる、裸足の足元は境界線を示すラインにピタッと止まり、さらにピシッと伸ばされた指先、背中の弟をも凌駕するこの姿に圧倒されるばかりだが、これは何を語っているだろうか。

 

目は希望に輝くことはないというには並外れて凛々しく、悲しみ、絶望をグッと堪えんばかりのくちびるはあまりにも雄弁。
足元は境界線にすくみというには確固たる意志を持ち、そしてまっすぐに伸ばされた指先。
戦時の条件反射というには、そこに人としての尊厳、誇りが、わずかに垣間見られないだろうか。


たとえ思考も感情も停止状態だとしても、何があろうとこれだけは譲れるものではない。